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アースデイ函館2006インサイド・レポート

「アースデイ」(地球の日)の起源は古い。
遡ること1960年代終わり頃のアメリカ、きっかけは一冊の本、レイチェル・カーソン著『沈黙の春 (Silent Spring)』であった。この書は、DDTをはじめとする農薬などの化学物質の危険性を、「鳥たちが鳴かなくなった春」という出来事を通し訴えた作品で あり、科学万能主義の世の中の風潮に警鐘を鳴らした環境問題における古典である。
当時はまだ、環境問題や、その保護のために力を注ぐ政治家はま だ少なかった時代のこと。だが、アメリカ・ウィスコンシン州選出のG・ネルソン上院議員(当時)は、学生運動・市民運動が盛んなこの時代に、環境のかかえ る問題に対して人々に関心を持ってもらおうと考えた。そこで、ベトナム反戦運動で盛り上がった「ティーチ・イン(teach-in)」(討論集会)を環境 問題に応用できないかと、当時スタンフォード大学で全米学生自治会長をしていたデニス・ヘイズ氏に伝え、このアイディアを受けたデニスは1970年、全米 中にアースデイを呼びかけ、コーディネートし、4月22日をアースデイであると宣言したのだった。
そのひとつの思いは、30余年を経て、ここ函館にも連鎖し、「アースデイ函館2006」の名の下に多くの店や団体が集まることとなった。
アースデイ1年目、ニューヨーク市では、市長が5番街からすべての車を閉めだした。サンフランシスコでは「エコロジーフェア」にくり出す群衆が、およそ10万人にも及んだ。しかし、ここは2006年の函館である。自分たちのやり方で、少しずつ始めてゆこう。
今回、実行委員として関わらせてもらって感じたこと。アースデイについての情報を全く持たない人々にどうやってこの日の意義や目的を伝えればよいのか。理 由はいくらだってあるし、問題だって山積みだ。オゾン層破壊、地球温暖化、砂漠化、廃棄物問題・・・。どうやら、残されたタイムリミットは少ないらしい。 きっと、それだけに、決定的な契機というものが見えてこないのであろうか。今日も、函館の空は晴れわたり、目の前には山、周りには海が悠々と広がってい る。
そう、これは、ひとつのきっかけ作りなのだ。多くが若いメンバーからなる実行委員は、自分たちにそう言い聞かせた。
ここに住み、その日を意識し行動した人はみな「アースデイ函館」
であり、もちろん私たちが独占できるものではない。理想は、イベントではなく、自然発生的な動きへと発展することだと思う。
そして「アースデイ函館2006」は、元より環境に関わる活動を続けている素晴らしい方々や、今回の話をきっかけに興味を示してくれた方々、そしてそれぞれの会場を訪れる人たちの手にゆだねられた。
2006年4月22日、その日は、あっという間に過ぎ去っていった。
自分はというと、日中は自分のやっているサンドイッチの店に釘付け。これ以上ない晴天に恵まれ、人出も多かったのだ。ライブ・イベントが行われた函館市公民館へと移動したが、こちらも大盛況の様子だった。
足を運ぶことはかなわなかったが、今回中心となった西部地区の様々な会場では、きっと新たな出会い、次に繋がる何かが生まれていたに違いない。すべては、人と人が出会うこと、それが結びついてひとつになることから生まれる。
行われたイベントの内容は、環境に関するセミナー、民芸品やオーガニック食品の販売、手作り石鹸のワークショップ、絵や写真の展示など多岐にわたり、工夫を凝らした数々の料理もひとつの楽しみだった。
報告によると、それぞれの会場を訪れた人々は合わせて500人以上であった。

その日が終わろうとしていた深夜に、ふと気づいたこと。結局、自分はアースデイに、地球・・・つまり、土の地面を踏むことは一度もなかったのだという事 実。当たり前だが当たり前じゃないこと。いまさら時計の針を大きく戻すことはできない。後戻りできない部分は確実にあるし、きっとこれから始められること だってある。
今回のアースデイをきっかけとした、新しい動きも出ている。エスニック雑貨店、aja(エイジャ)さんでは、包装紙を不要とするお 客さんがひとりいるたびに2~5円の募金をすることにした。これは、「包装紙をやめて木を植えよう」と銘打たれているように、インドネシアでコーヒーやマ ンゴーの植林を行うNGOへの寄付のためである。
そういった活動への思いはきっとそこを訪れる人たちにも伝わり、その輪はどんどん大きくなり、 来年の函館におけるアースデイにまで繋がってゆくのだろう。これこそが、「毎日がアースデイ」への道ではないだろうか。
(大山 紘生)
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